毎日毎日課題ばっかです。
グループワークばっかです。

ドリコムの調子が悪すぎて、もうブログ、引っ越します。


昨日今日と濃い内容な気がする。
死ぬこと、生まれること。老いること、病気になること。


昨日は終末期医療についての授業。
授業のなかで遺書を書きました。大切なひとに当てて。
思いつく言葉はつらつらと、同じことの繰り返し、まとまることはなくて
書いてると喉の奥がぎゅっと苦しく泣いてしまいそうだった。
ここに書いていることをどうして今伝えないんだろ…。

講師の先生は旦那さまをガンで亡くしされた方だった。
淡々とでも熱く授業を進める先生は、受け入れて悲しみの波は鎮まっているのかな
と思いながら。


思い出すのは
基礎実習2ではターミナルの患者さんを受け持たせてもらったこと。
自分から希望して持たせてもらったにも関わらず、実際に目の前にすると、余分な緊張を持って会話に戸惑っていた私。
どうしても、「死」「がん」という言葉を避けたがっっていた。恐かった。
それは、私自身の死に対する恐怖の強さだったんだ、と思う。

「やりのこしたことはないの」と涙ぐんで話してくださった、その言葉に何も返すことができなくて、ただ頷くだけしかできず胸が痛かった。


でも、それでよかったのだと今、思う。
真正面から死と向き合っているいる患者さんにとって
表出された思いを、
受け入れ、苦しみや思いを共有(しようと)している人の存在は大切だった。

1日のほとんどがコミュニケーションで終わってしまったこと。
それもまた、それでよかったのだと。
 側にいること
それはどんな技術でもない一人の「あなたを大切に思う」人間としての力だと思った。




一方で、今日は母性看護の授業。
お産のビデオは何度か見てきたけど、今日のは痛かっはぁ…。
改めて、赤ちゃんって大きいな!って思った。
胎盤って案外つるりと綺麗に剥がれるものに感動。
お母さんと赤ちゃんのご対面シーンは何度みても嬉しくなってしまうもの。



生病老死
人間にとって避けることのできないものたち。
だけど、どう生きるかは選ぶことはできる。


看護はそれらに関わり、
専門職として、ひとりの人間として、
その誰かを見守り支えていくものだと

自分の目指すものに改めて誇りを感じる。